14日目のN2氏から続いて、記事を書いていきます。
僕はN2氏がアカプルコの製品版を出したり、あるいは重量級ゲームを作ったりする事を今でも密かに心待ちにしています。ずっと、ずっと待ってます。待ってます……。
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「なんでこんな記事を書かねばならないのか」
そう思いながらキーボードを叩いています。どうも、僕です。
テーマを決めて、それについて持論を展開し、なおかつ読んでいる人が楽しめるような文章を書く。
そんな事をお金も貰わずにやらねばならないのです。これが苦行以外のなんだと言うのでしょう。
僕以外の人はとても面白い記事を書いているので、プレッシャーも半端ないです。
あぁ、僕はなんでこんな企画に乗ってしまったのでしょう。最初は軽い気持ちだったのに……。
いや、だがしかし、と僕は思い直しました。
このアドベントカレンダーの記事を書いても報酬は発生しません。
ならば変なプロ意識を発揮せず、のびのびだらだらと記事を書けば良いのです。
そう言う訳で、僕は僕の自伝的なお話をだらーと垂れ流す、すごく自己満足な記事をここにしたためます。
そんなものは読みたくねえよ!と言う方は、次のTANSANFABRIKさんの記事を読みにいってあげてください。
読んでみてもいいかなと思えた方は、続きをどうぞ。
小説家・宮野華也は死んだ。なぜだ! 坊やだったからさ。
僕の経歴はある意味でストレートです。ストレートに曲がっています。
高校生の時分から「俺はライトノベル作家になる!」と決意し、「ノベルス科」や「ライトノベル学科」などのコースがある専門学校に入学しました。
そして専門学校に四年間(2校をはしごしました)通い続け、出した結論は「僕にライトノベルは書けない!」でした。
僕がライトノベル作家になりたかった理由は、ライトノベル作家に憧れていたからです。
ライトノベルを読んだ事がある人なら一度は読んだ事があるであろう「あとがき」というものがあります。
ここには作者の近況であったり、ちょっとした小話であったりが載っています。
そこに書かれていた作家の日常を読んで「小説家ってすげー楽しそう!」と思ってしまったわけです。
実際、彼らはそこに書いていない数多の苦労を乗り越えてきたはずなのですが、当たり前ながら「あとがき」にそんな事を書く作家はいません。(たぶん)
そんな偶像化された作家像は、四年間の学生生活によって「プロ作家」という実像にバッチリと変化しました。
作家は一本の小説を書くのに数ヶ月かかります。(個人差はありますが)そして時にその数ヶ月を賭したものがただのゴミくずに変わったりもします。
誰がそんなギャンブルをしたいと思いますか。がんばって、がんばって、その結果が妄想を詰め込んだデータ容量にしかならなかった時、どれだけの絶望に襲われるでしょうか。
考えただけで恐ろしい現実です。でも、彼ら「プロ作家」はそれをずっと行うのです。彼らは死ぬまでそれを続けるのです。
なぜ、そんな事ができるのか。わかりますか? 今の僕にはわかります。そして、昔の僕にはわかりませんでした。
みんな、小説を書くのが好きなんです。
六年を賭けて小説家になれなかった人間が、三年を賭けてボードゲームデザイナー(仮)になった方法
くっそ長いタイトルですね! でもまあ、最近の流行的には長い方が売れたりしますしね!
さて、まあ、話は戻りまして、つまりはそういう事なんです。
小説を書いて金銭を獲得し、それによって生計を立てている人たちの多くは「小説を書くのが好き」なんです。もしくは「小説を書くのが苦にならない」のです。
僕は違いました。先ほども言いました通り、数ヶ月を賭けたものが箸にも棒にもかからない駄作になる。そんな事は耐えられません。そんな事を考えながら小説を書く事なんて、辛くて辛くてたまりません。
だから僕は次第に小説を書かなくなりました。
でもそれは小説を書くのが嫌になったからではありません。嫌な点はたしかに嫌でしたが、作家になるという夢はなかなか捨てきれませんでしたので、「書くぞ!」とがんばってみては「書けない……!」となるのをしばらく繰り返していました。
そんな時に出会ったのは「ボードゲーム」だったのです。
ライトノベル作家を目指していたから、ボードゲームと出会えた
僕がボードゲームに出会えたのは、作家を目指していた時分に教えを受けた「秋口ぎぐる」先生のおかげでした。
(※この業界で先生を知らない方も少ないと思いますので説明は割愛します)
当時、先生は大阪市立中央公会堂という場所で「レトロビルでゲーム会」という集まりを開催しておられました。
まだライトノベル作家を目指していたその頃の僕は、秋口先生とお近づきになれれば、あわよくば美味しい話が拾えるのではないかと考えていました。今思うと情けない限りのお話ですが、まあそれだけ必死だったのです。
そんな僕が先生の主催しているゲーム会とやらの話を聞いたのです。「これは先生と交流を深められる良い機会やで!」と乗り込んでいったのは当然の流れでした。
僕のそんな浅はかな動きを、先生はなんとなく感じておられたやもしれません。
そして「ボードゲーム? なんかよくわからんけど、大して面白くもなさそうやから、ちょっと我慢する事になるかな」なんて思っていた僕の目の前に現れたのが、皆さんの知っているあのボードゲームたちです。
美しいアートに彩られたボードの上を、多種多様なチップや駒の数々が動いていく。
それらは自分が今まで考えもしなかった「理」によって動いていて、それに触れてしまった僕の中には、新しい何かを芽生えさせました。
たぶん、ここで小説家・宮野華也は死んだのだと思います。
そして新たに生まれたのがボードゲーム大好き人間・宮野だったのだと思います。
ライトノベル作家を目指していたから、ボードゲームが作れた。
僕は「好き」という感情に人一倍、敏感な人間でした。
なぜならば、その「好き」が自分にない故に、小説家になるという道が絶望的に思えていたからです。
だから僕は「ボードゲーム大好き人間」として生まれ変わった自分の「好き」というパワーを冷静に分析しました。
それが本物なのか、偽物なのか。好き鑑定士としての観察眼を総動員して検査しました。
結果として「めっちゃくちゃ好き」というのがわかったので、僕はボードゲーム製作を始めたのです。
なにやら唐突に思えるかもしれませんが、ライトノベル作家を目指していた僕は、とりあえず「何かを作りたい」という思いは常にあり続けたのです。でも、小説ではその欲求を満たせませんでした。
その思いを吐き出せる矛先として「ボードゲームが好き」が手に入ったのですから、これは作らないわけにはいきません。
ライトノベル作家を目指していたから、小説家を目指していたから、僕はすぐさまボードゲームを作り始める事ができたのです。
ライトノベル作家を目指していたから、ボードゲームを作り続けられた
六年間も賭けてライトノベル作家になろうとしていた僕ですが、その過程が果たして無駄だったのかと聞かれると……幸いにも無駄ではありませんでした。
もし僕が「ライトノベルを書くのがむっちゃ好き!」だったなら、きっと僕が今ゲームデザイナー(仮)としてやっている事と同じやり方をしていたと思います。
僕が今やっているのは「膨大な量のゲームを遊びまくり、それら全てをパクり尽くす」です。
真にライトノベル作家を目指していたのなら、僕はありとあらゆる小説(ライトノベルに限らない)を読み尽くし、それらをパクり尽くしていたと思います。
なぜなら、僕はその方法が一番良いと思っているからです。
この世界に生まれた作品は、必ず誰かの前を通っているはずです。それはボードゲームや小説に限らず、ありとあらゆるものに言えるはずです。そしてその誰かが「良し」と認めたからこそ、それは我々の前に登場する事ができたのです。
そんな素晴らしい「お手本」に見向きもせず「真にオリジナルのゲームを作るのだ」と精神統一し始めるほど、僕は悟りを開けてはいません。
それに「お手本」の「良し」と認められた部分がどこにあるのかを調べ尽くす時間は、素晴らしい愉悦をもたらします。
僕にとってそれが「ボードゲームをプレイする」という事になります。だから僕がルールを聞いている時、たまに興奮しているのはそのためです。ルールを聞きながら「良し」がどこにあるのかを探り、実際にプレイする事によってそれを確かめる。
この一連の流れがたまらなく好きなのです。そして僕の中にはたくさんの「良し」ストックが集まっていき、それらを利用する事によっていくらでもシステムを作る事が可能となるのです。(実際、作ったものが「良し」となるかはわかりませんが)
三年でボードゲームデザイナー(仮)になる方法
この三年間、僕は愉悦によって得たものを恥じらいもなく、盛大にまき散らしました。
なんだか頭がおかしい人みたいに聞こえてきますが、実際に僕がやってる事はそういう事です。
そして僕はその行為が大好きです!
ボードゲームをしているととても幸せですし、それが気心の知れた仲間と一緒だったら最高に興奮します!
そしてそれによって蓄積されたものがまったく別のゲームに変わる様子もたまりません。
1と1を足したら2にならず、Tになったり、山になったりした瞬間のあの高揚感は何度味わっても良いものです!
山になる場合は、2本ほど線が増えているのですが、それもこのやり方の醍醐味です。足したければ足せば良いんです!
引いてますか? 引いちゃってますか? イエス! それが「三年でボードゲームデザイナー(仮)になる方法」です。
「ソレがたまらなく好きであること」
僕がボードゲームデザイナー(仮)になるためにしてきた事は、たったそれだけです。
これはあるいは「してきた事」ではなく、「できた事」だったかもしれません。
ただ、ただただ、僕は、ボードゲームが、大好きなのです!!
故にゲームをするし、ゲームを作るし、ここに記事だって書いているのです。
「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、これは真理だと思います。
最後に
「小説家になれなかった宮野くん」のお話は、本人にしてみると意外と気づかないものだったりします。
恋は盲目という言葉もある通り、夢に恋をしてしまうと自分がそれに向いている、向いていないに関わらず突っ走ってしまう事があります。
僕は今ここではっきりと「僕は小説家には向いていなかった」と言う事ができます。でも、それは今だから言えるのであって、ボードゲームと出会っていなければ、たぶん今もそれを言う事はできなかったかもしれません。
25年間も生きてきて、僕は「たまらなく好きなもの」に出会う事ができていませんでした。だから、もしかするとこれに出会えるというのはとても幸運な事なのかもしれません。
なので、まだそういった出会いがないなあと思う方は、よければボードゲームをやってみてほしいですし、あるいは他の何かを思い切って始めてみるというのも良いかなと思います。
僕はボードゲームに出会えて、ボードゲームをプレイできて、ボードゲームを作る事ができて。
心から幸せです。
そう思える自分である事が、僕の「三年でボードゲームデザイナー(仮)になる方法」でございます。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。かしこ
追記:ボードゲームデザイナーに(仮)がついている理由ですが、専業のデザイナーになれた時にその(仮)を外したいという思いを込めて付けております。お見苦しいやもしれませんが、ご容赦ください。
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次回、16日目のアドベントカレンダーを担当されるのはTANSANFABRIKさんです。
MoBGAMESが発刊していたMoB通という雑誌にコラムを載せていただいたりしていましたので、面白さはうちの保証付き!
どんな記事があがるのか、お楽しみに〜。